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織田作の手紙

三高の教授(英文学)であった山本修二(やまもと・しゅうじ1894-1976)の手元には、織田作から届いた「二通の手紙」が残っていたといいます。

ひとつは「夫婦善哉」の献本を受けたことに対する礼状への返信。

もうひとつは昭和20年4月1日付の手紙だったといいます。
その文面を山本の引用から孫引きさせていただきましょう。

 京都の町々も今のうちに、一度あるいて、しつかりと覚えて置かうと思つてをります。大阪はお察しの通りで〔空襲の意味:山本註〕、愚作夫婦善哉なども大阪地誌としての文献的価値だけは、ひよんなことから残りさうです。
 大いに精進して、在りし日の大阪を記録する小説を書き残して置かうと、地図など探しゐます。つまり、かういふ張り切り方で、せめてものうさ晴らしをるといふ状態ですが、先生も大いに張り切つて下さい。

この手紙の背景を押さえておく必要があるでしょう。

アジア太平洋戦争の末期、昭和20年1月から8月にかけて断続した米軍機(B29)の空襲によって、大阪の中心市街地は壊滅的な打撃を被り、焦土と化しました。なかでも、3月13日の深夜から14日にかけて来襲した米軍機は、都心部の全域に6万発以上の焼夷弾を投下し、その被害は死者・行方不明者を含めて4千名を超える規模に及んだともいい、既成市街地の中心部を焼き尽くしたのです。

3月13日夜半の大空襲から十日ほど後、織田作之助は《南》の盛り場「千日前」を探訪しています。彼の馴染んだ劇場、銭湯、飲食店などは、軒並み焼け落ちていたのでした。「B29の暴虐爆撃」に憤りを隠さない彼でしたが、はやくもそこに「起ち上ろうとする大阪」、あるいは「起ち上りつつある大阪」の「表情」を読み取り、いくつかのエピソードを挿しはさみながら、たくましさあふれる光景を「戦災余話」としてつづっていることは、よく知られているかと思います(「起ち上る大阪――戦災余話」昭和20年4月)。

さて、文面にもどると、やはり興味が持たれるのは、焦土と化した大阪を目の当たりにした織田作が「夫婦善哉」に「大阪地誌としての文献的価値」を見いだしたことです。たしかにその価値はある、と個人的には思う。それはある種の都市誌でもあったのだ、と。

この点をふまえるならば、冒頭の一文がいっそう興味ぶかく感じられます。なぜならば、このあと彼自身が京都に移り住み、日刊紙に連載する「それでも私は行く」は、彼なりの「京都地誌」であったと考えられるからです。

かつて「雇仲居」制度の概要を説明すべく、「それでも私は行く」を素材にもちいたことがありましたが(拙著『敗戦と赤線』)、いまいちど「京都地誌」として読み直す作業をしてみたくなりました。今年の目標のひとつとして。



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# by ponton1102 | 2019-01-06 08:53 | その他 | Comments(0)

2018年にみた映画

2018年はわずか12本。

なにを隠そう「ボンジュール、アン」がもっとも印象に残った作品なのでした。

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# by ponton1102 | 2018-12-31 07:14 | その他 | Comments(0)

平野神社の常夜燈

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平野神社の境内に、「永代常夜燈」と刻まれた石灯籠があります。

裏にまわってみると、寛延2(1749)年に寄進されていることがわかります。

この石灯籠、270年も前からこの場所、この位置でで夜の灯を点してきたのでしょうか?


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# by ponton1102 | 2018-10-21 09:56 | 京都ストリート漫遊 | Comments(0)

「嘉手納基地 家族住宅~開発・建設の風景~」報告会@コザ

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「嘉手納基地 家族住宅~開発・建設の風景~」報告会

日時:2018年8月10日(金)18時~
於:沖縄市戦後文化展示館ヒストリート2階(ゲート通り)

前田一馬(立命館大学・院)/加藤政洋

入場無料、どたなでもご参加いただけます。
# by ponton1102 | 2018-07-30 13:29 | 沖縄ストリート漫遊 | Comments(0)

池波正太郎の京都

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# by ponton1102 | 2018-07-20 08:52 | 京都ストリート漫遊

平野神社の西参道

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これは昭和初期に撮影されたと思しき平野神社の西参道です。

郷土史家の田中緑紅(たなか・りょっこう1891-1969)によると、西大路が開けてから参道口が付けられたといいますから、表参道にくらべると、ずいぶんと新しいということになります。

ところが、ここにひとつの謎が・・・。



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# by ponton1102 | 2018-03-21 17:28 | 京都ストリート漫遊 | Comments(0)

「京洛まち散歩」の発行

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絵葉書や古写真、文学作品や地図を片手に、ちょっと昔の京都を訪ねる「京洛まち散歩」、はじまります。

散歩や喫茶、昼呑みのおともに、話のタネに、手に取ってご覧いただけるとうれしいです。

お時間があれば、こんなところもあった、こんなところもあるのか……と、ぜひ京洛のあちらこちらを遊覧してみてください。

第1号は3月発行の予定です。

「京洛まち散歩」を置いていただけるお店を募集しています。
 ご連絡をいただけましたら、お届けにあがります。
  どうぞよろしくお願いいたします。

# by ponton1102 | 2018-02-14 11:11 | 京都ストリート漫遊 | Comments(0)

上七軒の「北養軒」

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これは1920年代ぐらいと思しきマッチ箱のラベルです。文字情報だけ拾ってみると、

「RESTAURANT」「北養軒」「西洋料理」「京都北野上七軒」「電西陣5497」

ですね。《上七軒》で洋食(=西洋料理)と言えば、かつては「萬春」、現在は「グリル 彌兵衛」が有名でしょうか。京都花街と洋食の関係は、おもいのほか深いものがあるようです。




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# by ponton1102 | 2018-01-08 16:19 | 京都ストリート漫遊 | Comments(0)

2017年にみた映画

  01月31日 「ザ・コンサルタント」(TOHOシネマズ二条)
  02月01日 「みかんの丘」(京都シネマ)
  02月08日 「スノーデン」(TOHOシネマズ二条)
  02月10日 「皆さま、ごきげんよう」(京都シネマ)
  02月15日 「ホームレス ニューヨークと寝た男」(京都シネマ)
  03月01日 「トリプルX:再起動」(TOHOシネマズ二条)
  07月22日 「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」(TOHOシネマズ二条)
  08月03日 「ザ・マミー」(TOHOシネマズ二条)
  12月31日 「オリエント急行殺人事件」(TOHOシネマズ二条)

# by ponton1102 | 2017-12-31 13:46 | その他 | Comments(0)

明治京都の鳥すき

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# by ponton1102 | 2017-11-27 21:27 | 京都ストリート漫遊
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