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![]() もとは1950年に(当時は越来村コザの)「商業街(ビジネスセンター)」として開発され、当時としては高規格の対面通行道路でした。 再開発するにあたり、一方通行路となったわけです。 同じころ、那覇市の最初の商店街として開発された場所として、神里原(かんざとばる)があります。 神里原は地区一帯の小字ですが、当時はむしろ「神里原大通り」として、つまり街区として知られていました。 こちらは中心部の市場側から東へ抜ける一通、でした。が、1963年2月14日、二車線の対面道路へと規制を撤廃しています。 とかく車優先の社会にあって、道路の交通の問題は車側からの視点が優先されがちですが、車道の交通をどうするのかということ自体、都市を建設したり、街をつくる際の思想が反映されるように思われます。 これは交通工学のみに還元されるべきものではなく、都市の思想であったり、空間の生産であったりと、さまざまな問題系へと開かれてゆくのではないでしょうか。 わたしの好きな言葉に「都市は街路名によって言葉の宇宙となる」というベンヤミンの名言があるのですが、これとはまた違った意味で、都市と街路の関係を考えてみたいものです。 単純に、一時はやった歩行者の視点から、というのではなく、です。 とはいえ、あくまでストリートウォーカーとして、まずは那覇が舞台となりますが。
by ponton1102
| 2012-03-09 06:59
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