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![]() 叡山電鉄沿線には、かつて鐘紡の紡績工場が立地し(高野の南西部)、北大路を挟んだその北側には(疏水の支流よりも北)、同社の社宅が建ち並んでいました。 その跡地の一部は、障害者スポーツセンターになっています。 さらにその北側には、高野川寮の建ち並ぶ高野泉町が位置しています。 写真はその跡地に建つアパートが取り壊されている様子。 すぐれて近代的な住宅景観がこの地には示差的に展開していたわけですが、高野川とほぼ並行してはしる大原道は街道的な性格が強く、鯰料理で著名な十一屋さんなどに代表される、たいへん立派な町家を目にすることができます。 ![]() 高浜虚子が漱石を誘ってたずねてことで知られる平八茶屋の手前には、なんと茅葺の(今は屋根をかぶせていますが)家屋もみられました。 さて、少しもどり、大原道から東へはずれ、叡電の線路を超えると、そこはかつての営団住宅地。 これまたすぐれてモダーンな住空間がどどんと創出された場所ということになります。 今日は白川通りを超えて、名も知らない小さな川沿いに北上、そして中林の住宅地も見学。 もちろん建物はリニューアルされつづけていますが、区画割りには70年前の開発をしのぶことができます。 高野川の対岸とはあまりに対照的なこの景観については、いずれまた何らかのかたちで考えてみたいと思います。 ラーメン屋さんも多いから、フィールドとしては最適・・・ふふ。 ![]()
by ponton1102
| 2012-02-27 18:18
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